シン国三千年の味
| 「…………これは、なんだ？」 ランファンの件では世話になったカラ、たまニハお礼をするよ……そんなセリフで隠れ家に呼び出されたエルリック兄弟を待っていたのは、リンの満面の笑顔と数々の皿に盛られた不可解な物体であった。 「プリン……ではないですよね？」 兄がのぞき込んでいる皿を持ち上げて、アルフォンスが首をひねる。皿の上には、白いふるふると揺れる直方体がちょこんと鎮座していた。 そんな兄弟を前に、リンは胸を張った。 「シン国三千年の味アルヨ。これはトーフ」 「とーふ？」 「このショーユをかけて食ウネ」 リンが「トーフ」とやらにひょいとかけたのは、アメストリス中を旅している二人でも見たことがない、黒い不気味な液体であった。 「……なんか、妙な匂いがするんだけど」 「失礼ナ。シンでは一般的な調味料ヨ」 「……ふーん」 ま、食えるものなら食ってみるか、と白い「トーフ」に黒い「ショーユ」をかけて、エドワードはおそるおそる口に運んだ。 だが、怪訝そうなその表情は一瞬のことだった。 「うまい！」 「ほんと、兄さん」 自分では味見できないアルフォンスが、兄に確認を取る。エドワードは満面の笑みでうなずいた。 「ほんと、うまいぜ。へー、お前でも、人に食えるものをおごってくれることもあるんだ。明日は雪でも降るかな」 事実だが失礼な発言に、リンは微妙にこめかみをひきつらせた。 「言ってくれるネ。マア気に入ってくれてヨカッタよ。エドワードなら、絶対気に入ルと思ったんダ」 「？ どういう意味だ？」 二口で「トーフ」を平らげ、首をひねったエドワードに、リンはいやいやと首を振りながら次の皿を出した。 「コチラはミソシルね」 「ミソシル？」 兄弟がのぞき込んだ皿、というより椀の中にあるものは、何やら濁った褐色のスープであった。先ほどの「トーフ」と何やら黒い海草らしき物体が泳いでいる。 「何か怪しくない？」 アルフォンスの発言に、リンは微妙に眉を寄せた。もっともいつも笑っているような顔であるため、なかなか区別はつきにくい。 「マタ失礼ナ。ミソをダシ……えーと魚ノスープで伸ばしたモノよ。具はトーフとワカメという海草ネ。シンでは干したモノが売ラレテいるね」 「ふーん」 牛乳以外なら出されたモノに遠慮はしない、とるものもとりあえず食ってみる、が信条のエドワードは、ミソシルをすすってみた。 次の瞬間、その目が感動で見開かれた。 「うまいじゃないか」 「デしょ。シンでは朝飯に出テ、お袋ノ味アルヨ」 リンの解説を聞きながら、エドワードはうまいうまいとミソシルを飲み干した。 「最後はコレね」 最後にリンが出してきた皿には、二人とも一瞬顔をしかめた。 何やら不気味な匂いとともに糸を引く粒状の物体。 「…………腐ってるんじゃない？」 「ホントに失礼ナ。コレはナットー」 「ナットー？」 「腐っテルんじゃなくて、発酵してるノ。まあ食ってミナよ。こう、かきマゼテ食べるネ」 「ふーん。ヨーグルトみたいなもんか」 見た目は全然違うけど。まあ牛乳は人間の飲み物じゃないが、ヨーグルトはうまいもんな、発酵作用って偉大だよな……と科学者たる錬金術師らしきことを呟きながら、エドワードは「ナットー」を口に運んだ。 「兄さん、どう？」 さすがに見た目が見た目だけに、アルフォンスがおそるおそる訊ねる。 「まあ、いけるんじゃねえ？」 トーフやミソシルのように、絶賛とまでは行かなくても、口にあったらしい。 「ヨカッタ。まあエドワードなら気に入ると思ったんダけどね」 「？」 不可解な発言に小首を傾げたエドワードだが、目の前に「トーフ」と「ミソシル」を並べられて相好を崩した。 「まあ遠慮なく食べてヨ、たくさんアルカラ」 「そうか。じゃ遠慮なく、いっただきまーす」 妙なところでお行儀よく、亡き母のしつけ通り両手を合わせて一礼したエドワードは、山ほどの皿にぱくつきはじめた。 「兄さん、どんな感じ？」 食べられない弟が興味津々でのぞき込んでくるのに、エドワードは「トーフ」をほおばりながら説明する。 「うん、このトーフってやつは、お前がいってたとおりプリンみたいだな。ぷるぷるつるつるして、ショーユもいいけど、キャラメルソースもいけるかも」 甘いもの好きなエドワードの発言に、リンは冷や汗をたらりと浮かべた。 「ものスゴイこというね。トーフを甘くシテしまおうナンテこと、考える人を初めテ見たヨ」 「何事も発想の転換だぞ、錬金術だって料理だって。で、このミソシルってやつは、なんか昔、母さんが作ってくれたスープみたいだな」 エドワードにしてみれば最大級の賛辞に、アルフォンスは思い出の味と未知の味に思いを馳せた。 「シンのお袋の味って、いってたもんね……」 「そういうこと。で、このナットーってやつは……」 「ナットー」をもう一口、口に放り込んで、エドワードは頭をかき回した。 「……うーん、上手く説明できん。たとえられそうなものがない。あくまでナットーだな」 「ふうん」 アルフォンスが相づちを打ったとき、隠れ家の扉が合図通りにノックされて、マスタングとファルマンが姿を現した。 「やあリン君。今日は美味いものを食わせてくれると聞いたのだが」 にこやかに笑うマスタングに、リンはうなずいた。 「ああ、今ソコでエドワードが食ってるヨ」 「遅かったじゃないか、大佐。先に始めてるぜ」 ふんぞり返ったエドワードの前には、もう数枚の皿が空になっていた。 「……相変わらずの、大食いだな……」 呆れかえったマスタングの背後から、ファルマンがおや、と身を乗り出した。 「それは『トーフ』ではありませんか？」 「アレ」 聞きとがめたリンが首を傾げた。 「准尉、知ってるノ？」 「ええ。トーフ（豆腐）：東方で食されている豆の加工食品。豆を煮て潰した豆乳をニガリで固めて作られる」 カタン、と皿を置く不気味な音がした。しかしファルマンは気づかなかった。黒い液体の入った小瓶の方に気を取られていたからである。 「で、そちらはもしやショーユ？」 「うん」 「ああ」ではなくて「うん」である。くるりと振り返ったエドワードは、凶悪なほど『可愛らしい笑み』を浮かべた。 「何でできてるか、准尉、知ってる？」 こくんと傾げられた首が実に可愛い。しかし、目は少しも笑っていない。 だが、ファルマンは気づかない。滔々と解説を続けた。 「ええ、ショーユ（醤油）：東方で用いられている調味料。豆を発酵させて作られる」 「すごいねえ、准尉。じゃ、これは？」 笑顔のエドワードが差し出した皿に、ファルマンは目を見張った。 「おお、ミソシルですな」 「ミソとやらをスープでといたものなんだそうだけど……ミソって知ってる？」 見る者が見たら、心にブリザードが吹きすさぶ笑顔である。この兄をよく知るアルフォンスなぞ、既に撤退準備にかかっている。 だが、ファルマンは自分のうんちくを開陳できる喜びで一杯だった。 「もちろん。ミソ（味噌）：東方で食されている豆の加工食品。煮た豆や麦や米を塩とともに発酵させて作られる」 「さすが准尉。こっちは？」 「おや、ナットーまであるとは。ナットー（納豆）：東方で食される豆の発酵食品。まあ、いってみれば腐った豆ですな」 「…………そう…………」 うつむいたエドワードの背後に、不気味なオーラが立ちこめる。一気に臨界点ぎりぎりまで可燃ガスが満ちあふれたかのような空気に、火をつけたのはやはり、この男だった。 「共食いか、鋼の」 「だああれが、豆にまで食われてしまうほどのドチビかああ！！」 たちまち、隠れ家を揺るがす追いかけっこが始まった。 「……シンの人間って、豆ばかり食ってるのですか……」 マスタングとエドワードの追いかけっこ（じゃれあい、ともいう）に巻き込まれないよう、気の毒なファルマンを保護して隣室に撤退したアルフォンスは、こっそりとリンに訊ねてみた。 しかし、返ってきたのは予想外にまじめな答えであった。 「シンでは、豆は生活に生きているアルヨ。荒れ地でも育つシ、栄養も多い。飢饉になると保存していた豆を食ってシノぐ」 「へえ…………」 「そうなんですか……」 「豆さえも食ってイケナクなると、民は田畑を捨テテ流民となり、王朝マデ倒れル」 そういうと、リンはちらりと隣室を見て笑った。 「豆を笑う者は豆に倒されるのヨ」 |
３００００ヒット記念SS。元ネタ：「エイリアン通り」（ふ、ふるい！）。 ありがちなネタなんですが、ハガレン読んだときからこのネタが脳内を走り回っておりました。 そういえば、この主役のシャール君も「金髪金目」でしたねえ |