運命がベルを鳴らす
| 書類に埋まっていたヒューズのデスクの上で、受話器がジリリンと軽い音を立てた。
「はい、こちらヒューズ」 「ヒューズ中佐、マスタング大佐からお電話です。一般回線です」 受話器から聞こえた交換手の声に、めずらしいこともあるものだ、とヒューズは思った。 まず、マスタングからかかってくるということ自体がめずらしい。三日に一度は電話で話している自分たちであるが、実のところ、マスタングからかかってくることはほとんどない。いつも自分がかけては、女房や娘の話をしまくって、しびれを切らしたマスタングにぶった切られる、それがお決まりのパターンだ。あの親友は、電話というものは用がない限りかけるものじゃない、とでも考えているらしい。日に日に可愛くなる娘エリシアの成長報告は立派な用件だ、とヒューズは思っているのであるが。 そして、一般回線からというのがまた妙だ。つまり軍部の外からかけていることになる。東方司令部で多忙なはずのマスタングが、わざわざ外からかけてくるとはどういうことか。 （何かあったのか？） 嫌な予感に眉をひそめながら、ヒューズはいった。 「つないでくれ」 回線が切り替わる音がして、親友の声が聞こえた。 「ヒューズか？」 それが、いつもと変わらない声であることに、ヒューズはほっと胸をなでおろした。マスタングの内心をその声から読みとれる人間などほとんどいないが、自分にはわかる。 一安心すると、つい軽口も出る。 「よおロイ。めずらしいな、おまえさんからかけてくるなんて」 「まあな」 「ちょうどよかった、聞いてくれ、今日は記念すべき日なんだ。今朝、うちのエリシアが……」 「ヒューズ」 早速始めようとした娘の話を、親友はあっさり遮った。 「悪いが、娘自慢は今晩にしてくれ。いま、駅からかけているんだ」 「へ？」 思いがけない台詞に、ヒューズはぽかんとした。 「駅からって、おまえ、セントラルにくる途中か？」 「ああ。出張だ。一泊して東部に戻る」 「そりゃいい」 ヒューズは笑った。 「じゃあ今晩は、うちで晩メシ食っていけ。エリシアも可愛くなったぞ〜」 電話の向こうの声にあきらめたような苦笑が混じった。 「そいつはぜひとも頼みたいが」 不意にその声が真剣みを帯びた。 「もう一つ、おまえに頼みがあるんだ」 「なんだ？」 まったく、めずらしいこともあるものだ。 小首を傾げたヒューズの耳に、思いがけない言葉が飛び込んできた。 「子供を一人、預かってくれ」 「…………は？」 その単語に、ヒューズの頭の回転は、一瞬停止した。 （『子供』？ だと？） おもむろに再起動した頭で、親友の言葉の意味をなんとか飲み込むと、ヒューズはおそるおそる口を切った。 「ロイ、おまえ……」 「なんだ？」 電話の向こうの声はちょっといらだったようだった。ヒューズはあわててかぶりをふった。 「いや、いつかは、そういうはめになるんじゃないか、とは、思ってはいたが……」 「だから、なんだ？」 そんな親友に、ヒューズは声をひそめて訊ねた。 「……ついに、女に子供を押しつけられたのか？」 「違うわ！」 電話の向こうから、ぶち切れ寸前の親友の絶叫が鳴り響いた。電話でよかった、とヒューズは心から思った。直接会っての会話だったら、燃やされていたかも知れない。 「だって、いま、子供って」 「誰が、『おれの子供だ』と言った！」 「違うのか？」 「違う！」 そう叫んでから、マスタングはなんとか冷静さを取り戻したらしい。ようやく事情の説明を始めた。 「今度、国家錬金術師の資格試験が行われるだろう？」 「ああ」 そこでヒューズは、今朝聞いた噂を思い出した。 「そういえば、おまえ、今回の試験に、初めて推薦者を出したんだって？」 「ああ」 電話の向こうでうなずく声が聞こえた。ヒューズは笑った。 「そりゃ、是非とも会ってみたいな。おまえに推薦させるなんて、どういう奴なんだ」 「心配しなくても今晩連れて行く。そいつを、試験中、おまえの家で預かってほしいんだからな」 「は？」 ヒューズにしては珍しく、親友の説明についていけなくなった。 「それと、子供と、どういう関係があるんだ」 「だから」 マスタングは決定的な事実を告げた。 「そいつが、その、子供なんだ」 「…………なに？」 絶句したヒューズをよそに、マスタングは説明を続けた。 「少なくとも、軍の宿舎に一人で泊まらせるのは問題あり、という年齢なんでな。おまえの家に泊めてやってくれ」 「ちょっとまて」 ようやく事態を理解して、ヒューズは身を乗り出した。 「おまえ、本気か？ いや、正気か？ 国家資格試験の難しさは、おまえ自身がよーく知っているだろうが」 だが、マスタングは少しも動じなかった。不敵なほどの声音で、断言した。 「本気だし正気だ。賭けてもいい。この子は間違いなく、史上最年少の国家錬金術師になる」 その声音に、ヒューズははっと目を見開いた。 同じだった。あのときの声と。 （『おれは、大総統になる』） 暗く荒れたあの部屋で、そう言い切ったときと。 そのとき、電話の向こう側で、発車を告げるベルの音が聞こえ始めた。 「おっと」 マスタングの声が早口になった。 「列車が着くのは十八時だ。今晩、おまえの家に連れて行くからな。詳しい話はそのときにする」 「おい、こらまてロイ、その子の名前くらい教えろ」 あわてたヒューズの声に、マスタングは答えた。 「エドワード・エルリック、だ。じゃあ、頼んだぞ。奥さんによろしくいっといてくれ」 いうだけいって、がちゃんと切られた受話器を見つめて、ヒューズは思わずぼやいた。 「頼んだぞって、これじゃあ、泊めるしかないだろうが、ロイの奴……」 しかし、と彼は思った。 あの、自分にも他人にもきつい親友が、そこまで見込んだ『子供』とは、いったいどういう子供なのだろう？ あんな声音になるほどに。 （……こりゃ、楽しみだな） そう笑みを浮かべると、ヒューズはあらためて受話器を取り直して、自宅の番号を回した。 「もしもし……ああ、グレイシア、俺だ。急で悪いんだが、今晩、ロイが客を連れてくるんでな。晩飯と客用寝室の準備を、頼めるかな」 |
『お豆ちゃんと大佐さん』に掲載した長篇、エドの国家資格試験話「絆のかたち」のミニ裏話。 この二章でマスタングがかけていた電話はこれだったんですね。 |